お茶飲みしましょ!まずは一息。更新もまったりです。


by ittouan

カテゴリ:詩とことば( 9 )

2007年の唄

不機嫌な人といると 気が滅入ります。

やたら上機嫌な人といると きょとんとします。

愚痴と陰口ばかりを言う人には どこか気を許せず

目を血走らせ声高らかに訴える人の話は なぜか心に残りません。



目の奥にあたたかい光を宿した人のそばにいよう。 
心がすとんと落ち着くのは気持ちよい。

身体全体に静かな生気をたたえた人に習おう。 
生命を正しく養う力を。

もくもくと手を動かして何でもないものを生み出す人に
心からの敬意と感謝。

そして天と地が語るかすかな囁きを私の中に映そう。
言葉と微笑みに託していこう。


f0104590_20281013.jpg

[PR]
by ittouan | 2007-01-04 17:34 | 詩とことば

愛の種

鐘は鳴らさなければ鐘ではない。歌は歌わなければ歌ではない。
 愛もまた、人に与えるまで愛ではない。
 愛は心に秘めておくために与えられたのではないのだから。
        ― 映画「サウンド・オブ・ミュージック」 ―



f0104590_1557475.jpg




ある方からいただいたメールに添えてあった言葉です。
そうね。。。そうかもね。

若い頃は、愛とは想いだと思っていました。
誰よりも好きだという気持ち、切なかったり、熱くなる胸の鼓動。
それから月日が流れて、
いろんなことを経験して、痛い思いもいっぱいして
いま、思うこと。

それらは決して愛じゃないとは言いたくないけど、
愛の種、のようなものじゃないかな。
いろんな形を持って生まれた愛は、繰り返される日常の営みの中で
自ら手をかけ時間をかけることで少しずつ育っていく。

特別ではない、ほとんど退屈に近い時間の中で。
気持ちが全くついてこれない時でも。
時には投げ出したくなる状況がやってきても。
それでも、与えることをやめないという決意、その行為の連続、その末の果実。

一方『無事であってほしい』とか『幸せであってほしい』とか
たとえ自分が介さない世界に相手が生きていたとしても、ただ遠くから誰かのために
祈りと祝福を与え続けることで育つ愛もあるはず。
思いを秘めるのではなく、目には見えない光を送り続けるようなそんな行為も立派な愛と思う。

愛の種はいくつあってもいい。
それぞれの場所でそれぞれの花を咲かせよう。
[PR]
by ittouan | 2006-09-14 17:23 | 詩とことば

貧者の一燈

f0104590_8174559.jpg

仏典の中のお話です。ちょっと長いですが、よかったらお付き合い下さい♪

お釈迦様が説法を広めるためにある都(祇園精舎)に行ったところ、都の王は道中に無数の燈明をともしてお釈迦様を歓待しました。
さてその町に一人の貧しい老婆がいました。都中の人たちも次々に油を買い求めお釈迦様に尽くすのを見て老婆も何とか志を捧げたいげたいとお金を工面し(一説では自らの髪を売って)わずかなお金を手に油を買いに行きました。
油屋の主人は食うや食わずの老婆がなぜ油を欲しがるかを不思議に思って理由を訊ね、その信仰に心を打たれて多めに油を譲ってくれました。こうして老婆は何とか小さなお燈明を供えることができました。

都中に灯された燈明は、みな夜のうちに強い風に吹かれて消えてしまいました。
けれどあの老婆の燈明だけは消えることなく燃え続けていました。
翌朝、お釈迦さまの弟子が昼の間は消しておこうと思って消そうとしましたが消えません。
衣であおいでみましたがやはりどうしても消えませんでした。
それを見たお釈迦様はこう言われました。

「信仰の厚い者の燈明は決して消えることはない。
 この老婆は来世では仏陀となって人々から尊敬される者である」と。

これが長者の万燈より貧者の一燈の言われです。
ここまでのお話はご存知の方も多いかも知れませんね。
この故事から一般に『貧者の一燈』とは寄進は金額の大小よりもその気持ちが大切だ、との例えに使われます。けれど私が好きなのは以前読んだものに書かれていたこの後のお話です。

お釈迦様はこの時財力を尽くして仏に仕えようとした王の信仰をも認めておられました。
けれど、あり余る中から尽くした王よりもわずかに持てるものを差し出した老婆の信仰心をより尊いと教えられました。これを聞いた王は素直に心に留め、さらに信仰を深くして救われたというくだりです。

老婆の小さく深い思いは油屋、弟子たち、ついには王の魂までも照らしていったということだと思います。小さき者の思いもそれが正しい信仰(信念)に基づいていればやがて大きな力となって世を照らすことができると、私は解釈しています。

私の名はこの故事に由来して、祖父によって一燈美(ひとみ)と名付けられました。
今日は私の誕生日です。この名をいただいたこと、家族の愛と祝福、いま一度の感謝と感慨を持って考えてみました。
おじいちゃん、私この年になってもたいした人間にはなっていないし、
これからもきっとこんな風だろうけど、、、
私なりの一燈を大切にともして生きてゆくよ。見守っていて。

お誕生日ありがとうございます。
[PR]
by ittouan | 2006-07-31 12:00 | 詩とことば

がばい話

「ばあちゃん、英語なんかさっぱりわからん」
「じゃあ、答案用紙に『わたしは日本人です』って書いとけ」
「漢字も苦手で…」
「『僕はひらがなとカタカナで生きていきます』って書いとけ」
「歴史も嫌いでなあ」
「歴史もできんと?『過去にはこだわりません』って書いとけ」

通知表は0でなければええ。
1とか2を足していけば5になる。人生は総合力!

人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。

悲しい話は夜するな。
つらい話も昼にすれば何ということはない。

「暑い」「寒い」と、うるさく言うな。
夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい。

時計が左にまわったら、壊れたと思って捨てられる。
人間も昔を振り返らず、前へ前へと進め!

貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。
うちは明るい貧乏だからよか。
それも、最近貧乏になったのと違うから、心配せんでよか。
自信を持ちなさい。うちは先祖代々貧乏だから。

人間は死ぬまで夢をもて!
その夢がかなわなくても、しょせん夢だから。


ご存知の方も多いでしょうが、島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』。
じんとして、死んだおばあちゃんを思い出しました。
こういうばあちゃんが少なくなったことが、日本の一番の痛手、では。
[PR]
by ittouan | 2006-07-06 22:28 | 詩とことば

友へ

浜辺の足あと

ある日 わたしは夢を見ました
浜辺を神と共に歩いている夢を
海の向こうの大空に
わたしは今までの人生の光景が
はっきりと映しだされ
どの光景の前にも浜辺を歩いている
神とわたしの二組の足あとがありました

最後の光景まできたとき
振り返って見ると ところどころ
足あとがひとつしかないことに気づきました
そしてそれはいつもわたしが苦境に落ちて悲しみに
打ちひしがれているときでした

わたしは神に尋ねました
「いつもわたしのそばにいて下さると約束されたのに
どうしてわたしを見放されたのですか」

神は答えておっしゃいました
「わたしの大切ないとし子よ
わたしは決してあなたのそばを離れたことはない
あなたが見た一つの足あと
それは
苦しみや悲しみに傷ついたあなたを
そっと抱きあげ 歩いた
私の足あとなのだ」 と

                 マーガレット・パワーズ



渦中にあってはわからないこと。
試練の影に隠された真実の果実。
けれどあなたはいつだって信じてきたね
浜辺を歩く力強い神の足あとを。

心からありがとうを言いたくて。
がんばってくれたあなたへ。
抱き上げてくださった神様へ。
すべてを無駄にしなかったあなたの叡智に。
誕生と出会いという宇宙の奇跡に。

お誕生日おめでとう!
[PR]
by ittouan | 2006-06-30 10:35 | 詩とことば
      清談について

清談をしたくおもいます
物価 税金のはなし おことわり
人の悪口 噂もいや
我が子の報告 逐一もごかんべん
芸術づいた気障なのも やだし
受け売りの政談は ふるふるお助け

日常の暮しからは すっぱり切れて
ふわり漂うはなし
生きてることのおもしろさ おかしさ
哀しさ くだらなさ ひょいと料理して
たべさせてくれる腕ききのコックはいませんか

私もうまくできないので憧れるのです
求む 清談の相手
女に限り 年齢を問わず 報酬なし
当方四十歳 (とし やや サバをよんでいる)

                            
                           茨木のりこ  「言の葉さやげ」より


短大時代、英文学の講義なのになぜか日本の詩人や海外の絵本作家など
その日その日のきまぐれに作品を紹介するという、ちょっと変わった教授がいました。
当時教授が読み聞かせてくれた詩や散文のいくつかは
いまでも私の大切な宝物になっています。
中でも詩人茨木のりこさんとの出会いはとりわけ大きな賜物でした。

久しぶりにいくつかの詩集をめくって、今日はこの詩が響きました。
清談をしたく思います。
本当に、そう思います。
日常は雑多で、時に聞きたくない話も聞こえてくれば、
自分の言葉のうすっぺらさに我ながら嫌気がしてくることもある。
だからこそ、心を潤すちょいといい話や、何かに立ち止まる瞬間、
アハハと笑って元気をもらう、そんな会話が欲しいのです。

そして気がつきました。
ああだからこそ、私はこうして時間とパソコンを使って
ご縁のある方々とひとときを分かちあうことに
喜びを見出しているのだと。

今年2月、天上の人となられた茨木さん。
その作品と生き様そのままに 
きっと凛としてこの世を旅立っていかれたことでしょう。
茨木さん、あなたのようにとはいきませんが
私なりに 清談模索してまいります。

(友人である森のパオちゃんが茨木さんの詩をいくつか紹介していますのでご興味のある方はこちらを。)
[PR]
by ittouan | 2006-06-26 13:36 | 詩とことば

観音様いらっしゃーい

f0104590_14133646.jpg


とあるうどん屋さんに掛かっていた額です。
お店の方に写真を撮らせてもらっていいですかと尋ねると
「どーぞ、どーぞ。私も大好きな言葉なんです。」とおっしゃって下さいました。

出会う人はみんな観音様かぁ。
良いな良いなーと思える面をみせて下さる観音様には素直に感謝できるけど、
時に「うっ、勘弁してくださいよ」と言いたくなることを見せられると
ついつい観音様だと忘れてしまい、ばっかじゃないのー!なんてことになりがちな私。

美しいも醜いも、優しいもむごいも
強いも弱いも、なにもかも
人の中に見るのは、実は皆自分の中にいる観音様ってことか。
それならば、何を見てもよいではないか。

今日もたくさんの人たちと出会っていく。
人生に深く深くかかわる人もいる。
私の観音様、いらっしゃーい♪
[PR]
by ittouan | 2006-06-02 14:49 | 詩とことば

       五月

悲しめるもののために
みどりかがやく
くるしみ生きむとするもののために
ああ みどりは輝く

                   室生犀星
 
 

 自然の姿を借りてふと天が語りかけてくることがある。
 それは人が何かに打たれて、裸の心でひざまつくその時だ。
 当たり前だけど、人それぞれの五月がある、と思い出させてくれた。


 
    「自分が見ると輝くものを探す」   

 NHKのこっとう入門で、目利きについて尋ねられた
 講師役の日本民芸館学芸員、尾久彰三氏の答えだ。

 もの自体が輝いているのではない。
 ものに輝きを与えるのは、それを見る人の目、心なのだろう。
 思えば、輝いて見えるものたちは、年月や経験で変わってきた。
 明日は何が私の目に輝くのか? 楽しみ、楽しみ。
 
 

 もう一つ、尾久氏の言葉。
 好きなもの(骨董)をとことん追求し、それらに囲まれて生活する氏が
 女優の樹木希林さんに、「さぞかし楽しい人生でしょう」と言われて。

  「どんなに好きでも、だんだん苦しくなってくることがある。
      けれど、それを乗り越える自分がいる。
       楽から苦へ、そして無へ。 」
  
 
 楽しみの向こうに苦があって、それでも進み続けていくと
 最後は無に還り、ただ生きることへの感謝に変わるという。
 その道を極めた人の、何とも深遠な一言であった。
 生きることの究極、本質を突いた言葉に ただ打たれた。

 朝から濃~い時間をもらった私です。
 
 
 
 
[PR]
by ittouan | 2006-05-11 13:32 | 詩とことば

名前は祈り

先日友人がこんな詩を転送してくれました。




名前は祈り

f0104590_21231791.jpg
名前はその人の
ためだけに
用意された美しい祈り
若き日の父母が
子に込めた願い

幼きころ毎日毎日数えきれないほど
美しい祈りを授かった

祈りは身体の
一部に変わり
その人となった

だから 心をこめて 呼びかけたい
美しい祈り




名前には特別な何かがあるような気がしてた。
そうか、それは祝福だったのか。
名付けられてからこの世を去るその時まで
名前をよばれるたびに
私達はその祝福をこの身に受け続けるのかも知れない。
そしてその祈りが、その人そのものの一部になる。

そう考えると、ことのほか愛しいではありませんか、
自分の名前、愛する人たちの名前が。

ちなみに私の名前は 一燈美と書いてひとみ。
これからも大事に大事に愛しんでいきたいと
この詩を読んであらためて思いました。

M子、この詩を送ってくれて、ありがとう。
[PR]
by ittouan | 2006-04-20 21:30 | 詩とことば